ユアーズライフ代表
吉田雅己の経歴と家づくりへの想い

軽い気持ちで……

西京区の桂で生まれ育ち、
今まで京都を出た事がありませんが、
私には少し変わった経歴があります。

地元の高校を卒業し、
夜間大学に通っていた頃の話。

なぜそうなったのか憶えていませんが、
友人と西京極球場まで走ろうという事になり、
二人で球場まで走りました。

球場に到着して一息ついていた時、

「ねえ、君たち」

と、一人の男性から声を掛けられました。

「公務員だから収入も安定しているし、
ヘリコプターに乗ったり、
戦車に乗ったり、
銃も撃つことだってできるんだよ」

それは自衛隊へのスカウトだったのです。

その後も興味をそそられる話しを次々にされた私は、
なんだか自衛隊がとても楽しそうで、
とても魅力的な所に思えてきて、
すぐに入隊を決意。

自衛隊時代

若いというのはこういうことなんでしょうね(笑)

忘れられない体験

しかし、入隊した私を待ち受けていたのは地獄の日々。

6時半の起床ラッパと同時に戦闘服、
ブーツに着替え庭に出て点呼。

一人でも遅れると、
連帯責任で延々と腕立て伏せ。

部屋のベッドメイクは、
シーツや毛布とベッドの角度は直角でなければならず、
これも出来ていない者がいると、
部屋が台風と称し、
班長達にぐちゃぐちゃにされます。

入隊後も夜間大学に通うことをやめなかった私は、
16時半に訓練が終わると大学へ。

授業が終わって宿舎へ帰ると22時半。

23時が消灯なので、
お風呂に入り、
戦闘服にアイロンをかけ、
作業ブーツをピカピカに磨くことを、
30分でしなければいけません。

平日は毎日時間が足らずバタバタなので、
休日の土日に洗濯物や試験勉強などを、
まとめてやっていました。

その甲斐があってか、
時間を有効活用する術が身に付き、
今となっても役立っています。

また、何かあれば連帯責任というのが自衛隊。

常に仲間と協力し合うことで、
チームワークの大切さも学びました。

そして隊員として体験した最も大きな出来事。

それは、

阪神・淡路大震災

災害派遣に出動し、
計60日程を兵庫県で過ごしました。

直接この目で見て、
肌で感じて、
心に刻み込まれたその体験が、
家の耐震性に対する私のこだわりの根底にあります。

自衛隊を辞めて新たな道へ

自衛隊員と大学生という二足のわらじを履いた暮らしを続ける中、
大学の卒業が近付いてきました。

その頃になると新たな社会も見てみたいという思いが生まれ、
自衛隊を退職することにしました。

就職活動を経て、
非鉄金属の商社への就職が決定。

就職が決まった後、
卒業までの時間を利用して、
友人のいたアメリカで1ヶ月間のホームステイ。

その後、父親の知り合いがいたエジプトでも、
1ヶ月間のホームステイを経験しました。

それぞれに諸国の言葉が話せたわけではなく、
お互いの国の言葉で喋り合っていたので、
会話は成り立つはずがありません。

けれども意味が通じていることも多くあり、

気持ちを伝える

というコミュニケーションの基本を学べた気がしています。

また、先入観や偏見を持つことなく、
様々な人に興味を持つという私の特性は、
この経験が源泉になっているのかもしれません。

エジプトにて

会社員デビュー

就職した商社は大阪にあり、
京都から心斎橋まで通勤していました。

当時は接待や飲み会がほぼ毎日あるという時代です。

終電に間に合うことなどまれで、
月曜から週末まで格安カプセルホテルに宿泊という事もありました。

仕事の面では上司に営業というものを、
徹底的に叩き込まれたのですが、
その時に言われた今でも忘れていない言葉があります。

「ライバル会社があって同じ商品で同じ価格であれば、
吉田から買って貰うのは当たり前だ。
それが高くても吉田から買って貰う間柄になれ!」

商社時代

その言葉通りになれるように、
がむしゃらに働いていました。

しかし、会社が時代の波に飲まれ、
私が担当していた商材への魅力も失ったことで先行きに不安を感じ、
入社から6年3ヶ月が経った時に会社を退職することになりました。

転々とするなかで湧き上がった想い

当時、仲の良かった友人がフランチャイズの不動産会社で働いており、
面白くやりがいがあると聞いていたので、
私も同系列の不動産会社に入社しました。

年間の契約金額が多いと全国表彰され、
会社のCMに起用されていたタレントにも会えるとのことだったので、
それを目標に邁進しました。

がむしゃらにがんばった結果、
5年間の在籍期間中に2度表彰を受けることができ、
店長にもなれたのですが、
最後は売上至上主義に疲れ果ててしまい退職。

一旦リフレッシュしてから次を考えようと旅に出ました。

とにかく考えることを放棄して、
ゆっくりとした時間を過ごしたかったので、
当時父が住んでいたタイへ行き、
ビーチでお酒を飲みながら読書にふけていました。

そしてリフレッシュの旅から戻ると、
運良く前職で付き合いのあった不動産会社から声がかかり、
そこでお世話になることに。

しかし、そこで働いて3年ほど経った頃、
趣味で続けていたフットサルで足を骨折してしまい、
長期間仕事をすることができなくなったため、
会社に迷惑をかけてしまい居づらくなって退職。

こんな様に会社を転々とするうちに、
自分の中にある想いが湧き上がっていました。

それまでの仕事の中で、
お客様から他のお客様をご紹介いただいたことが多く、
いつもそのことにとても感謝していたため、

恩返ししたい!

そう考えた時、
起業すれば自分の好きなようにできて、
力になれるのではと思ったのです。

起業しよう!

ユアーズライフ誕生

住宅を購入する際、
ほとんどの方は長期で住宅ローンを組み支払っていきます。

その時の決断と覚悟は相当なものです。

お客様と会社の間には、
信用と信頼がなければ取引は成立しません。

その決断、覚悟、信用、信頼を裏切る事があってはならない。

いつもその想いを忘れずに仕事をしてきました。

それは取引が終わった後も続くことだと考え、
近くに寄った時には表敬訪問したり、
年末にはカレンダーを持ってまわり、
ご家庭の成長や変化を共に喜び合ったりしていました。

そんな中で住宅でのお困りごとの相談や、
新たなお客様をご紹介いただく事も多くありました。

ご縁に感謝し大切にしたい。

永続したお付き合いをして共に歩み続けたい。

あなたの人生を支え続けたい

そんな想いから社名を、

ユアーズライフ

とし、不動産会社を起業しました。

己の無力さを痛感

ユアーズライフでは、
お取引を終えた方々とも永続的に楽しく付き合っていくために、
様々なイベントを開催しました。

家を売却する方やリフォームされる方には、
想い出として当時の家の写真やムービー動画を撮影。

新たに購入された方には、
引越後に大切な方をご自宅にお招きするパーティーを主催。

その時の様子をインタビューも交え、
写真やムービーに記録しDVDにしてお渡し。

不動産売買にはつきものの各種税金や税金控除も、
資料と必要書類一覧を作成してお届けし、
円滑に処理ができるようにサポート。

また、クラブ活動と称して、
フットサルクラブや観光バスツアー、
琵琶湖でのヨット体験&BBQ等も開催。

皆様にとても喜んでいただけて、
私自身も恩返しできていると実感していました。

しかし、そんな思いがガラガラと崩れる出来事が……

2018年 戦後最強の台風と集中豪雨の被害

自分の無力さを思い知らされました。

目の前の困っているお客様を、
私は全く助けることができなかったのです。

不動産業では職人と直接繋がりを持っていなかったので、
お客様から補修の依頼を受けても職人を手配することができず、
いつ工事に入れるのかも分からないまま、
半年経過しても手付かずの所もあるほどでした。

新たな一歩

ただただお客様と一緒に楽しんでいただけ。

あなたの人生を支え続けたいと口にしておきながら、

私は困った時に力になれない存在だったのです。

目を覚まされた出来事によって、
職人たちと直接繋がる事の重要性を感じ
自社でリフォームができるようになろうと考えました。

まずは家のことをしっかり学ばなくてはと猛勉強。

すると、衝撃的な事実を知ることになったのです。

それまで不動産業で買ってもらっていた、
建売住宅の品質の低さに愕然。

もうそうなると、

自社で住宅を建てるしかない!!!

リフォーム事業に留まらず、
注文住宅事業を立ち上げる事を決心。

家づくりはお客様とともに、
様々な職域のたくさんの人が関わり合います。

そのたくさんのご縁の「EN」と、
楽しい家づくりに全員参加する意味での「JOIN」を掛け合わせ、
「ENJOY」しながら家づくりをしていきたい。

そんな想いを込めて、

注文住宅事業 EN×JOIN HOUSE(エンジョインハウス)

EN×JOIN HOUSE

を誕生させました。

家づくりに関わる良質なご縁が、
掛け合わされ交じり合えば、
間違いなく素晴らしい家が出来ると信じています。

全員参加型の楽しい家づくり

そして、

健康で幸せな毎日を過ごせる家づくり

を目指し、
これからも挑戦し続けます。

ユアーズライフ代表 吉田雅己

ユアーズライフのコンセプト